うお座の独り言ロゴ 僕の釣り歴(釣りキチ度) 海のボート釣り Sub Map へ

僕の記憶にある釣りデビューは、親父に連れて行かれた釣堀でのフナ釣りが最初らしい...。
らしい...というのは、僕の父親は大変な釣り好きで週末になると近所の釣堀に幼い僕を連れて行き、 太陽が出ている間中日光浴をさせていました。その際に釣り竿を握ったような記憶があるからです。
【『幼児と釣り』:決して相容れない関係…手のかかる幼児を連れて釣りに集中できる訳がないから】
何故、親父が手のかかる幼い僕を連れてまで出かけていたかというと、世界一のフィッシャーマン養成のための 英才教育では決してなく、単に「キチガイ」が付くほどの釣り好きで、週末の度に家族をホッポラかして一人で 出かけるとお袋の大目玉をくうからだったようです。

小学生になると、その血はしっかりと受け継がれてしまったらしく、週末になると親父のお古の釣り竿を片手に 近所の池から小川まで一人で出かけるようになりました。
狙いは、クチボソ、コブナというところ。時に大きなフナや鯉っ子を釣ってしまったりすると大喜びで親父に 自慢したものでした。
そして、釣りキチのご多分に漏れず、子供のくせに釣ったポイントは親父にも教えませんでした...笑。

年齢と共に行動範囲も広がり、親父と一緒に小川から1級河川、その用水路へと通うようになり、小魚から ヘラブナ、ノゴイへと獲物も大きくなっていきました。1mを超える巨ゴイもいくつかあげました。
中学生の頃は、四季を問わず週末は親父の車で夜釣りをしに行っていましたが、高校受験を控えた中3になると 自然と竿を握ることは辞めました。
高校受験への不安が僕に竿を持つことを控えさせたのでしょう。後にも先にもあれだけ集中して勉強したことは なかったのではないかと思います。
ところが、子供とはいえ長期に渡る日々の集中はストレスを抱え込むだけとなってしまい、大切な時期に頻繁に偏頭痛に 悩まされることになってしまいました。

この偏頭痛というのは、なった人にしか分からないような酷い痛みを伴うことがあり、僕の場合は、目の前に稲妻状の 線が走り、コメカミへの強い痛み、吐き気、下痢…と、何か脳に障害があるのではないかと両親を大変心配させました。
お医者さんからは、薬をもらうのですが僕には気休め程度の効き目しかありませんでした。どうすれば直るのかというと、 大人になると自然に痛みが軽くなるということだけでした。
子供心に「この医者他人ごとだと思って、殴ったろかッ!」と、思ったものです。
ちょっと、余談が長くなってしまいましたが、偏頭痛にお悩みの方のために、その後の僕の症状についてお教えします。
お医者さんの言った通り、本当に年齢と共にその回数も激減しましたし、随分と痛みも和らぎました。
41歳の現在でも年に数回あるか無いかの偏頭痛に襲われますが、市販の頭痛薬で十分我慢できる くらいに痛みも収まっています。
人それぞれ原因と症状は違うと思いますが、参考にしていただければと思います。

そんな時にこのような酷い状況から救ってくれたのが、釣りでした。
不思議なもので、釣りをしている時だけは頭が真っ白になってストレスも溜まらなくなり、頭痛の回数も減りました。
そして、集中力もストレスを抱えていた頃の倍以上に上がったと思います。
季節はあっという間に過ぎ、泣いても笑っても終わる高校入試...風邪をひいてしまい、意識朦朧の高熱で受験しました。
プレッシャーを感じる間もなく試験は終了しました。
結果は合格。釣りと風邪のお陰で試験当日に実力を出せたような気がします。
今更ながら釣りを遊びの一つとしてしか考えていなかった自分が恥ずかしい...。集中力を高め、忍耐力を養い、 想像(シミュレーション)力を逞しくするには、釣りが一番だと思います。文部科学省で情操教育の一つに加えて欲しいと思います。

と、ここまで釣りの素晴らしさを説いておきながら、実は高校に入学してから最初の就職までの約9年間釣りから遠ざかることに なってしまいました。理由は特にありませんが、多分、多感な?青春時代のせいでしょう...笑。

大学4年生の時に就職するのが嫌で、就職活動など一切せずに卒業してしまいました。
実は、(性格的に合っていると勝手に思っていた)機械製図の職に就こうと大学に通いながら通信教育も受けていたのですが、 僕が大学生の頃くらいからパソコンが普及し始め(NEC PCシリーズの走り)、これからは手で図面を描くのではなく、 CADの時代が来ることが容易に予想できたからです。今仮に希望どおりの職についても、コンピュータのスキルがなければ どんどんと時代の流れで仕事を干されていくだろうし、就職してからスキルを身につけるのは大変な努力が要求されると想像しました。
(ああ、どんどん本題の釣りから離れていく…)
これは、製図なんて狭い世界の話ではなく、全ての業務内容に一大変革が起きることも示唆していると思いました。
大学卒業と同時に夜学の情報処理専門学校に通い始め、昼間は建材の試験所で臨時雇用職員として働き、これは就職するよりも 辛いのではないかと弱音を吐いたことも一度や二度ではなかったです。
それでも、忙しい日々の中、しっかりと彼女も作りました...笑。
そして、彼女ができると定職に就くことが急務のように思え、専門学校の紹介で官公庁の関連団体に就職することになりました。
(補足しますが、その時の彼女が今の女房です)
その就職先で釣りキチの後輩とめぐり合い、生まれてはじめてのバスフィッシングにチャレンジすることになったのです。
この実際に食することのできない疑似餌をアクションを付けたリーリングで泳がせ、ブラックバスにいかに興味や食欲、縄張り意識に 訴えかけるかという、今までに経験したことのないジャンルの釣りは僕を夢中にさせました。
一度釣りから遠ざかっていたために、そのリバウンド(ダイエットじゃないからリバウンドはおかしいか?)は急激で、休みの度に 千葉県印旛沼水系の用水路に通うことになりました。それも彼女(未来の女房)を連れて...。
しかし、この釣りはタックル(疑似餌やライン、ロッド等)が高価なため、やたらとお金の掛かる釣りでした。
結婚も控え、就職したてで貯金など満足にない僕には、バスボートどころではなく、最低限のタックルを揃え、週末に川岸からロッドを 振るのが限界だったのです。
もし、今くらいのこずかいをあの頃自由にできていたら、もっと嵌っていたかも知れませんが、経済的に制約のあったあの頃では 残念ながら撤退せざるをえませんでした。
今でも、物置に眠っているバスフィッシングのタックルを見るたびに一人郷愁にかられます。
それでは、僕がルアーロッドを振っている間、彼女が何をしていたかというと快適な車の中で少女コミックに夢中になっていました。

ここからは一覧表にして続けます。書き始めると絶対に長くなりますので...笑。


出来事 Fishing
1988 結婚 前半:ブラックバスのルアー釣り、後半:出産を控え休止
1989 長男誕生 出産・子育てのためお休み
1990
子育てで忙しい合間をぬってブラックバスのルアー釣り
1991 退職、再就職、次男誕生 行徳の堤防でハゼ釣りに嵌る
1992〜1994
黒鯛釣り(ダンゴ釣り)に嵌る/年に数回貸しボートでキスを釣る
1995 長男小学校入学 黒鯛釣り(ダンゴ釣り)/今の釣り自体に疑問を感じ、ボート免許取得を決意
1996 ボート免許取得 サーフフィッシングと貸しボートでのキス釣り
1997
サーフフィッシングと貸しボートでのキス釣り
1998 次男小学校入学 サーフフィッシングと貸しボートでのキス釣り
1999
サーフフィッシングと貸しボートでのキス釣り
2000
ボート購入、早速マイボートでの釣りを開始する
2001 長男中学校入学 釣りはそっちのけで儀装に凝る/ボート釣り
2002
ボート釣りしたいけど、初心者だからなかなか海に出られない日々が続く
2003 長男受験勉強 長男の高校受験の願掛けで釣りはお休み
2004 長男高校入学、次男中学入学 ボート釣り再開!
2005 ホームページ作成に手を出す 天変地異にビクビクしながらも、仕事そっちのけで海に向かう!

と、いうことで現在に至っています。自分の釣り情報のデータベース化が途中で終わっていますので、 是非完成させてこのホームページにアップしたいと野望?に燃えています。


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